ローカルな共生を目指して

共生は生存のコア

 開発・効率優先への疑問を身近な事象から切り込みます。 短歌もあります。

 ローカルな共生の場を探します。



“いこてば”応援日記1

 

 民生・児童委員が運営の一翼にかかわりました。

「喋る、聞く、作る、飲む、食べる・・・場所」がオープン。

 社会的・地域的分断への挑戦です。地域における繋がりを再度編み直していく試みです。

 2017.1.16オープン。毎週月曜1時30分から3時30分、入場100円、クラフト100円(希望者)です。

 会場は、「岩室歴史民族資料館」です。来場者のまわりには、懐かしの民具等が展示してあります。

 来場者は、お互いを紹介し合ったり、同級会、同窓会の様相を呈したり、話に花が咲いていました。

 「ひっさしぶりらねー

   とーちゃんなくしてさー

     またこようーてばねー」


花が咲いた

 

逞しく成長した稲に花がつきました。

 豊作を祈ります。

 

 

 一首

 豊作は 農家の願い 国民も

  日本のお米に 愛と生見る


分蘗(ぶんけつ)始まる

2016.5.24

 

 早苗もしっかり、青々してきました。田植えのときは2〜3本植えだった苗も、今では10本程度まで増殖しました。

 稲ってすごい生命力旺盛です。食料の維持確保には最適な生命力です。太古の人も、これを発見したときは歓喜したことでしょう。飢えから開放されると。

 

 一首

 縄文の 弥生の人の 稲作を

   引き継ぎ渡す 農の喜び


薔薇と蛙  一日の終わりを共生で おいどうだった

2016.5.21

 

  共生ですね、まさに。

自然は絶妙のバランスを保っているのだと思います。人間も学ばなくては、と痛感。

 

 一首

 蛙乗り まあよしとする 今日の日は 

  何事もなく 過ぎてゆくなり


苗植えられて 水中に

2016.5.8

 機械植えの早苗は小さくて、水没しています。春の強い風にも倒れることなく、揺らめいています。

 遠くには、補植している農家の人が見えます。

 

 一首

 夕暮れの 迫る田んぼに 足踏み入れて

   補植を急ぐ 一歩また一歩


御巣鷹山にて

かけがえのない日常を突然奪う事故・天災・戦争・・・

 あの事故のとき、母たちは遺体の収容された体育館前でおしぼりを何日も絞りました。絞っても絞っても、次から次へと熱く濡れたタオルが戻って来たと言います。私たち家族は、それ以後、折りに触れ慰霊の登山をしています。

 

 一首

林立す 墓碑の名前を 拝みおり 

 安らかにとのみ 安らかにとのみ

 


拡大で

2016.4.20

一週間前の土手に来てみました。最後のタンポポが咲いていました。やっぱり自然の摂理に驚嘆です。機能美なのでしょうが、どうしてこんな形に、しかもかわいい。

 中学生の自転車通学も、近くを通ります。

 

 一首

用水に 映る自転車 一列に

 登校急ぐ たんぽぽの道


造形美 自然の摂理に畏敬の念

2016.4.13

 

何でこんな球状になれるのだろう?

自然の力は、私の想像を遥かに超えます。自然の営みに敬意を表します。

 

 一首

タンポポの 花咲き終えて 旅立ちや

丸き綿毛の 春風を待つ 


春満開

2016.4.10

満開の良寛「田中の松」の丘にて。

 

良寛さんて愛される存在だったのでしょうね。人を威圧したり、威張ったりしなかったのですね。ひたすら自分を深めたのだと思います。とかく世の中虎の威を借りる人が多く、我が身を振り返っても・・・猛省しました。(言葉だけ?)

 一首

古の 人を思いて 丸小山

 咲きあふれ舞う 桜花なり


春がそこまで

 春の花は黄色が多いと聞いたことがあります。どうして?

 ところでこの花、庭の真ん中に咲いていました。名前が分かりませんし、昨年は無かったのにどうしてここに・・・と?です。

 この花、一日で閉じてしまいました。後は固く結ばれた花弁の中で、種になっていくのでしょうか。

 

そこで一首

きょうひと日 限りの花の 咲き様は

太陽見据え 花弁開きて

(2016.4.1)


モズって渡り

えさをねらっているもずくんです。

「干し柿」から「パン」に換えてみました。パンも食べにくるようになりました。用意してないと、「キー」と催促のように鳴きますし、口にくわえて飛び立つときにも、「キー」とお礼を言っていきます。と、私は思っています。

 ところで、最近はあまり姿を見かけなくなりました。渡りなのでしょうか。知っている人がいたら教えてください。

 

そこで一首

 

            君は母 それとも父親? 持ち帰る

                 パンはナチュラル 子どもに優しい

                              (2016.3.30)


干し柿を食べにモズ来家

モズが干し柿を食べにくるのです。

 

 雪が多くてえさが見つからないのでしょう。我が家の干し柿を、食べに来ています。鳥除けのCDを警戒しながら、一気に啄みます。

 食べ尽したので、また一つ吊るすことにしました。

 

  そこで一首

 網の目を くぐりてモズの 食欲は

  狙いを澄まし 柿に飛びつく   (2016.H28.2)

 


少し冬らしく

今冬初めての雪らしい雪です。

 

 そこで短歌一首

 

いつもより 明るき朝に 目覚めれば

 寄りかかりおる 雪の水仙

(2016.H28.1) 


山茶花の咲く

 つかの間の晴れ間。冬囲いの中で咲くのもあわれな雪国の山茶花です。

今日は、思い切り咲き誇ってもらいましょう。

 

  そこで一首

 関東の 空のようだと 山茶花は

  花枝を広げて 伸びやかに咲く

    (2015.H27.12)


山間の地

 山里の暮らしは晩秋を迎えました。霙まじりの嵐吹きすさぶ日も間近です。長い冬が始まります。

 かつて私が務めた半蔵金です。久しぶりに訪れてみました。

 

  赴任当時を思い一首

 雪の壁 頼りに進み たどり着く

  二級僻地に 一歩踏み出す

     (2015.H27.12)

 この地には高台にある神社に「大杉」がありました。先年の中越地震で倒れたと聞いています。社も補修したようです。その脇に「亀」が水を出していました。

 

  そこで一首

 地震後も 枯れることなき 亀の水

 小春の日差しと 紅葉浮かべて

   (2015.H27.12)

 

 「抱姫」道祖神です。この社にあります。

 道祖神でも、男女がキスをしているものは珍しいですね。近くの地域には、大きな男根を祭った神社もあります。「ほだれ祭り」といって、若い女性がまたいで子宝を祈願する祭りです。

 おおらかな、まさに人類のコアここにあり、と脱帽です。

 

  そこで一首

 山村の 過疎を憂うか 抱き姫の

                    艶も増したり 小春日の中

                                                                (2015.H27.12)


芽で越冬

 落葉した楓には、既に芽が用意してあります。ドウダンツツジも同様です。葉が散り、裸になった木々に、来年の春を迎える芽が準備されているのですね。

 

 

 木枯らしが吹き、吹雪が舞い、雪の重みに耐えながら、芽で春を待つのです。すごい命の仕組みです。

  そこで短歌一首

 葉の散りて 頭現す 固き芽の

                     ほころぶ春を 共にまた見ん 

                                                                        (2015.H27.11)


小春日和

 あっという間の紅葉です。ドウダンツツジが紅葉しました。

 

  そこで短歌一首

 

 ドウダンの 陰より迎える 

愛犬の 散歩をせがむ 顔に小春日

(2015.H27.10)


秋盛り

ツワブキが盛りになりました。

 器械体操の事故で不自由になった富弘さんの絵で見たのが最初でした。この植物は、広く厚い葉っぱの強い存在感と、茎の長さと花の鮮やかな黄色とが、なにか不釣り合いの植物ですよね。そこが魅力的ですが。

 母が入院したときに、絵手紙にして送りましたら、実家の方にも庭の入り口とかにたくさんあったけど今は見かけることが少なくなったと返事が来ました。その3ヶ月後に他界しました。

 

    そこで短歌一首

         ツワブキは 村にもあったと 返事あり

              あかねとかかし 母描き添えて     (2015.H27.10)


柿干し終えた

正月用に柿を干しました。

 元日の朝のおせち料理の脇に干し柿を添えます。我が家の恒例おせちです。

 

 そこで短歌一首

 元日に そろう笑顔を 思いつつ

  今年も軒に 柿を吊るして

 (2015.H27.10)


初めて実を付けたザクロ

ザクロが熟しました。

植樹してから10年くらいたちました。やっと実をつけでこんなに見事に成熟しました。

 食してみたら、これが甘くておいしい。感激でした。

 

そこで短歌一首。

 ぼろぼろと ザクロのつぶを 

   ほおばりて

 遠い過去の日 明日の日思う    (2015.H27.9)


今年も熟したジョンの柿

 愛犬ジョンの日差しよけとして植えた柿の木である。ジョンは15歳で他界したが、柿の木はその後も元気に成長し、実を実らせている。

 

そこで短歌一首 

 柿の木の 木漏れ日浴びて 出迎える

   愛犬の声 今は聞こえず

(2015.H27.9)    


秋明菊

自然の持ってる造形美に感嘆!

 

 5片の花びらが、なんとまあバランスよく並ぶことか。

おしべめしべのオレンジとみどりの形のよさ、

 このバランスは、見事。

 

 

 

 そこで短歌一首

 

   いろのよさ かたちのよさや 秋明の

       まろきはなびら いまさかりなり        (2015.H27.9)

 

 八重もまた清楚な華やかさがあります。

 

そこで短歌一首

 八重咲きの 秋明菊の 群れ咲きて

   蝶を守りぬ 秋風の中

   (2015.H27.9)


634メートル

  スカイタワーの高さと同じ634メートルの弥彦山。越後の日本海に突き出しているこの山に登ってみました。

 

 幼児から高齢者までたくさんの人がいました。自分の足で登っている人も結構いました。自家用車やゴンドラでの登山者も結構います。

 

 頂上の社近くで、日差しをよけながらおにぎりをほおばりました。

 「うまいなあ」

 

また登れる日を楽しみに短歌一首。

 

 90分 以前の倍も かかったと 

  それでもいいと 妻は微笑む      (2015.H27.9)

     


稲穂群

今刈り取られようとしている稲穂群です。新米のかおりと甘みが口中に広がります。

 

  そこで短歌一首。

 ちから込め 宛名書きます

新米の 香りと甘み 宅配に乗せ

(2015.H27.9)


秋きぬと

 猛暑もいつの間にか過去に流れ、秋明菊が咲きました。

 

そこで短歌一首

 紅白の 秋明菊に さわさわと

  かすかにふれて 秋の風過ぎ 

(2015.H27.9)


晩夏

  

盆も過ぎ、咲き残る向日葵も数が少なくなりました。

 空には、秋を感じさせるすじ雲が出ています。

 

  そこで短歌一首

 おぼんすぎ 人もまばらな

    はなばたけ

               ひまわり二輪 そらをあおぎて    (2015H27.8)


朝露

 都会の人には分からない、実感できないこと、その一つ「朝露」です。

 わかるでしょうか?

これは、杉菜です。春の代名詞「つくし」の親分です。雑草としては、根が強く、除草は難儀です。でも、あの「つくし」です。

 幼い頃は、この茎で、接ぎ木当てクイズをよくしました。「どこ継いだー?」

です、

 

 一晩掛けて植物が「呼吸」するときに出る二酸化炭素です。人間と同じです。その二酸化炭素が、空気中に出て冷やされて、水滴となるのです。気孔と言う呼吸する穴から、出るのだと思いますが、どうでしょう。

 

 そこで、短歌一首。

 

  あさつゆに すそをぬらして

    おおまたに

 あゆむきょうのひ わがむねにあり     (2015.H27.8)


秋は空から

酷暑の夕暮れ時、西の空には秋の気配を感じさせる雲が出ていました。

 鰯雲?を感じたのですが、本当の雲の名前は分かりません。

 暑さ寒さも彼岸までと言う言い伝えがあります。空は分かっているのでしょう。

 

手前の植物は、裏の畑のピーマンやトマトです。私の作です。

 土いじりは大変な作業ですが、不思議と馴染み、心身共に健康になるように思います。

 

 そこで短歌一首

 

  うれとまと かれたるくきの かげにおち 

    あかきはらみせ いわしぐもみゆ 

   (2015.H27.8) 

     


白秋の詠みし砂山

  旧二葉中グラウンドから日本海を眺めました。水土の作品もよかったですが、日本海もきれいでした。

 

 北原白秋は、新潟師範学校の講堂で開催された「童謡音楽会」に出席した折り、2千人の小学生の歓迎を受け、子どもたちから新潟にちなんだ歌を作るよう依頼を受けた。その夕刻に寄居浜に立ち、夜の帳に包まれ聞こえるのは、心を揺さぶる波の音。その印象を基に「砂山」は作られた。(参考「新潟史市読本」)

 当時幾重にも砂山があったというが、今は全く無くなってしまった。

 

 そこで、短歌一首

 

 はくしゅうの よみしすなやま まほろばに

    しずかにうねる  にほんかいかな            (2015.H27.8)


蝉の一生

 

 玄関掃除をしていたとき、夏の暑い朝陽を受けて、今まさに命の灯火を消そうとしていた蝉を見つけた。暑いだろうに。

 

 最後を私の家で終える蝉は結構いる。卵を産みつけて最後をゆっくり静かに迎える蝉もいるが、この蝉のように暑い中、玄関のコンクリの上で逆さになっているのもいる。

  庭のドクダミの茂る中に返してやったら、なぜかこちらを向いて葉の上にいた。

 

 そこで、短歌一首

 

  つぎのよの こどもをのこし うつせみの

       ドクダミにのる すえをみつめて 

                (2015.H27.8)

 


雉の通り道

 

  我が家の裏は、雉の通り道。

春から初夏まで、するどい鳴き声を響かせる。

子連れで農道を渡ったりしている姿も見かける

 

 車のスピードを落とし、雉が渡り終えるのを

確認してから、ゆっくりとスタートする。

 

 そこで、短歌一首

 

 こをつれて みちをよこぎる ははきじは

  とおるくるまに いかくのめをむく

   (2015H27.5)